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岡山地方裁判所 昭和43年(ワ)45号 判決 1979年2月23日

(原告・反訴被告)川上和夫

(被告・反訴原告)五嶋義雄

被告 岡山県

訴訟代理人 加藤堅 石井美登志 ほか四名

主文

一  被告(反訴原告)五嶋義雄は、原告(反訴被告)に対し、金四一万六三〇〇円及びこれに対する昭和四三年一月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告(反訴被告)の被告(反訴原告)五嶋義雄に対するその余の請求及び原告(反訴被告)の被告岡山県に対する請求をいずれも棄却する。

三  被告(反訴原告)五嶋義雄の請求を棄却する。

四  訴訟費用は本訴反訴を通じ、原告(反訴被告)と被告(反訴原告)五嶋義雄との間においては原告(反訴被告)に生じた費用の三分の一を被告(反訴原告)五嶋義雄の負担、その余は各自の負担とし、原告(反訴被告)と被告岡山県との間においては全部原告(反訴被告)の負担とする。

五  この判決は、主文第一項について仮に執行することができる。

事実

(以下、原告(反訴被告)を原告と、被告(反訴原告)五嶋義雄を被告五嶋という。)

第一当事者の求めた裁判

一  本訴

1  請求の趣旨

(一) 被告らは、原告に対し、各自、金一〇七万六三〇〇円及びこれに対する昭和四三年一月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告らの負担とする。

(三) 仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(被告五嶋)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

(三) 仮執行免脱宣言

(被告岡山県)

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴 <省略>

第二当事者の主張

第三証拠<省略>

理由

第一本訴について

一  被告五嶋に対する請求について

1  <証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、昭和三二年に岡山市岡一〇三番地(以下「原告土地」という。)に木造瓦葺二階建店舗兼居宅(一階七七・〇五平方メートル、二階三六・三六平方メートル)を建築して居住していたこと、被告五嶋は、右同所一〇二番地(以下「本件土地」という。)に鉄筋コンクリートブロツクスレート葺二階建工場兼居宅(一、二階とも約六六・一一平方メートル)、以下「本件建物」という。)を昭和三六年に建築したことが認められ(建築行為及び建築年月については当事者間に争いがない。)、右認定に反する証拠はない。

2(一)  <証拠省略>を総合すれば

(1) 原告家屋は、原告土地と本件土地との境界から約六〇センチメートル北に寄せて右境界とほぼ並行に建てられており、建築当時その南側約六六平方メートルは空地であり、南側からの日照は豊かで、風通しも良く換気も十分であつたため、各部屋の窓は南に向けられていたところ、被告五嶋が、右境界から約五〇センチメートル離して原告家屋と並行に本件建物を建築したことにより、両家屋の壁と壁の間隔は約一メートル一〇センチ前後となり、更に本件建物の出窓や原告家屋の戸袋や庇が張り出しているため、両家屋は殆ど相接するほどになり、このため原告家屋の一階六畳の間二部屋(居間と寝室)と炊事場は、朝夕の一時期を除いて殆ど日照が遮断されるに至り、その程度は快晴の日の日中でも電灯をつけなければ新聞等を読むことができないほどであり、また、通風も著しく障害されたこと

(2) 本件建物の屋根の軒は、前記境界にまで達していたにもかかわらず、右屋根の軒には、本件建物建築当時から昭和四四年二月に至るまで、雨樋が設けられていなかつたため、この間雨天の際には本件建物の屋根から雨水が勢いよく原告家屋の屋根、窓及び敷居などに直接落下し、このため前記(一)の通風不良と相侯つて、原告家屋の畳、敷居及び壁などが腐敗したこと

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  前記(一)(2)の認定事実によれば、被告五嶋は本件土地の所有者として、雨水を隣地である原告土地に直接注ぎ込むような屋根その地の工作物を設置してはならない義務がある(民法二一八条)にもかかわらず、これを怠り、原告土地の境界にまで達する軒を設置してその雨水を原告家屋へ直接注潟させていたのであるから、右行為が違法であることは明白であり、被告五嶋は右雨水の注潟により原告の蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

(三)  次に、前記(一)認定の事実関係によれば、本件建物の建築によつて原告家屋の日照、通風が阻害されたことが認められるところ、原告は、右日照、通風障害を生ぜしめた被告五嶋の本件建物建築行為の違法性について、本件建物が建築基準法六条及び五三条の各規定に違反している旨主張する。よつて、原告の右主張について判断する。

(1) まず、本件建物が建築基準法六条及び五三条の各規定に違反しているかどうか検討する。

(ア) 建築基準法六条違反

<証拠省略>によれば、被告五嶋は本件建物を建築するにあたつては、建築主としてあらかじめ建築主事に建築物の計画の確認申請をし、その確認を受けることが義務づけられていたにもかかわらず、この手続を経ることなく昭和三六年一月本件建物の建築工事に着手し、同年四、五月ころ本件建物を完成させたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そうすると、被告五嶋の本件建物は、建築基準法六条に違反した無確認建築物であると認められる。

(イ) 建築基準法五三条違反

<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば、本件土地の面積(敷地面積)は一六一・一八平方メートルであるところ、被告五嶋は本件建物を建築した結果、本件土地上の既存建物の面積と合せて建築面積は一四三・一四平方メートルとなつたこと、本件土地は本件建物建築当時住居地域であり、かつ、角地であつたので、建ぺい率を遵守した場合の適法建築面積は九一・八二平方メートルとなり(161.19-30)×(10/7)=91.83)、従つて、本件建物の建築面積はこれを五一・三一平方メートル超過しており、またその違反比率は三九パーセント(10/10.9-10/7=10/3.9)であつたこと、以上の事実が認められ(なお、原告は、本件敷地上の被告五嶋の建物の面積が八二・六九八平方メートルであつたと主張するが、これを認めるに足りる証拠はない。)、<証拠省略>には敷地面積が一六一・九平方メートルである旨記載された部分があるが、そのすぐ後に(四八・七六坪)とあるので、計算違いであると考えられ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定事実によれば、本件建物が建ぺい率に違反していることが認められる。

(2) 次に、前記建築基準法に違反しているとの理由により、直ちに原告に対する日照・通風障害による不法行為における違法性が具備されるかどうか検討する。

原告の主張の趣旨は、建築基準法一条及び八条の規定から推認できるとおり、同法は規制対象建築物の近隣住民の居住環境等の生活利益をも直接保護しているのであるから、同法に違反する行為によつて右生活利益を侵害した場合、被害者に対する関係でその行為は違法と評価できるというにある。

しかしながら、原告の主張する前記建築基準法の各規定の違反ということのみによつては、原告に対する日照・通風妨害による不法行為を認めるのに十分な違法性を具備しているとは認められないというべきである。

その理由は次のとおりである。

まず、建築基準法の目的については、次のように考えることができる。即ち、国家目的の変化と社会の客観的条件の変化に伴つて、行政作用の範囲が量的に著しい拡大をみせ、内容も質的に高度化、多様化の傾向を示す結果として、最近の行政の実態において、消極的目的と積極的目的との区別の限界が次第に暖昧なものになつてきており、建築基準法においても、単なる消極的な秩序維持(いわゆる警察作用)という目的だけにとどまることなく、生活環境の維持向上、被害者の保護、救済のような積極的な国民の社会福祉の増進という目的にもあわせて奉仕することが強く要請されていたのであつて、同法一条において、単なる消極的な秩序維持という警察作用を規定するにとどまることなく、「国民の生命、健康及び財産の保護を図り、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする」と規定したことは、同法が右のような積極的な社会福祉の増進という目的をあわせて有することを明らかにしたものと解することができるのである。

しかしながら、建築基準法の目的が右のようなものであるということは、同法の各規定の解釈及び運用が右目的の趣旨に則つて行わなけれけならないということを意味するのであつて、一般条項である同法一条を援用して、規制対象建築物の近隣住民の居住環境が一般的に同法の保護法益であるということはできない。

また、原告の主張する建築基準法八条は、その規定の位置及び形式からみて建築物の所有者、管理者又は占有者に対して、その建築物の敷地、構造及び建築設備を常時適法な状態にしておくべき努力義務を課した訓示規定に過ぎず、この義務に違反したとしても、そのことのみでは法律上格別の意味を有するものではなく、また、この努力義務の存在によつて、その者に、建築物又は敷地の維持、管理について何らかの権利、権限が発生すべき筋合のものでもない。却つて、この努力義務の具体的内容は、それぞれの者が建築物又は敷地についていかなる権限を有するかによつて定まるのであつて、各々の権限の範囲内において同条の努力義務を負うのである。従つて、同条もまた、建築基準法による保護法益の発生とは何らの関係を有するものではない。

結局、建築基準法のある規定に違反したことのみを理由として、その行為によつて生じた損害の賠償を認めることができるかどうかは、その(個々の)規定の保護目的の範囲、内容や他の法令への影響を個別的に検討することを要するというべきである。

(3) そこで、更に原告の主張する建築基準法の各規定の性格について個別的に検討する。

(ア) 建築基準法六条

建築基準法は、個々の建築物を使用する人々の生命、健康、財産を保護するため必要な建築物の敷地、構造、建築設備等の最低基準や、地域環境を保護する上で必要な都市計画的観点から支障のない用途、規模、形態の最低基準を定めているが、同法六条は右基準の遵守を保障し、その実効性を確保するため、建築物の工事計画の段階において、建築物の工事計画が建築物の敷地・構造・建築設備及び用途等に関する法律並びにこれに基づく命令及び条例に適合しているかどうかを、右事項は技術的かつ専門的なものであるからその専門家である建築主事にあらかじめ確認させることとしたものである。

このように、同条は建築物の安全基準や都市計画上の制限を定めた規定(実体規定)の実効性を確保するために必要な手続制度を定めたものであり、同条の違反に対しては同法九九条一項二号及び四号の罰則や同法九条による工事停止命令等の措置を適用することができるとの効果を生ずることはともかく、同法六条に違反した無確認建築物であるということのみによつては、関係者の私法上の権利関係に影響を及ぼすものではない。

(イ) 建築基準法五三条

建築基準法が同法五三条において建築面積の敷地面積に対する割合を一定の数値以下にすることを規定した趣旨は、建築物の敷地に一定の空地を保有させ、建築物の安全、防火及び衛生に関する環境を良好なものに維持することにあるのであつて、建築物の隣家の日照・通風の利益を直接保護したものではない。建ぺい率は建築物の高さの制限には無関係であつて、また残すべき空地の位置についても何ら規定することがなく、偶然の事情が重なりあつて日照権が確保される場合があるにすぎない。

従つて、同条に違反しているからといつて、直ちには隣家の日照・通風を違法に侵したということはできない。

(4)(ア) 以上のとおり、建築基準法の前記各規定は、隣地住民である原告の日照・通風権を保護したものではなく、従つて右各規定に違反した建築物によつて原告の日照・通風が阻害されたからといつて、その損害賠償請求について、同法違反のみによつて右請求を認めるのに十分な違法性が具備されるものではない。

そもそも、昭和四五年の建築基準法の改正後においては、建築物の北側斜線の制限(同法五六条)などの日照権を念頭においた規定が新設されているが、右改正以前において、日照・通風の利益を保護した規定は全く存しないのである。

(イ) なお、原告は、被告五嶋に建築基準法一九条三項違反の事実があつた旨主張し、<証拠省略>及び弁論の全趣旨によれば、被告五嶋が原告との境界線付近の敷地上に、何らの人為的排水設備を設置していないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

そして、右同項に規定する下水管、下水溝等は例示に過ぎないものと解せられるものの、同条一項と対比してみるとき、少なくとも人為工作物としての排水設備であることを要するものと解することができるのであるから、右認定事実によれば、被告五嶋には同条三項に違反する事実があつたものと認められる。

しかしながら、右規定は、あくまで当該敷地の安全及び衛生についての保護規定であることは明らかであり、原告は、下水道法や民法等の規定によつて排水の自己の敷地への流入の差止や損害賠償を求めるならばともかくも、建築基準法一九条三項を援用して、右各請求をし得るものではない。

その上、右規定が日照・通風の確保とは全く関係がないことは文言上明らかであり、また、本件境界線付近には、原告の設置した排水溝があるのであるから(第一回検証の結果によつてこれを認めることができる。)、原告の右違反の事実とその主張する(これも必ずしも明確とはいえないが)被害との間の因果関係についても十分明らかにされたとはいえないというべきである。

(四)(1)  しかしながら、居宅の日照・通風は、快適で健康な生活に必要な生活利益であり、加害者の行為が社会的妥当性を欠き、これによつて生じた損害が社会生活上一般的に被害者において受忍するのを超えたと認められる事情があるときは、その行為は違法性を帯び、加害者に不法行為の責任を生ぜしめるのを相当とする(最高裁昭和四七隼六月二七日判決、民集二六巻五号一〇六七頁)。

そこで、本件において右のような違法な侵害行為があつたかどうか判断する。

(2) 前記2(三)(1)判示の事実関係に、<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すれば次の事実が認められ、被告五嶋本人尋問の結果中右認定に反する供述部分はたやすく採用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(ア) 被告五嶋は、昭和三四年ころから本件土地において自動車の塗装作業をしており、そのふきつけ作業の悪臭や火災の危険により、近隣住民との間でいざこざが絶えず、隣地所有者の原告や訴外金光真次らが法務局や消防署へ陳情して右作業を停止させたことがあつた。

そこで、被告五嶋は本件土地に作業場を建築して右ふきつけ作業を行うことを計画し、昭和三六年一月右工事に着手した。

(イ) 右工事着手を発見した原告は、本件建物が完成して同所で本格的に塗装作業をされては大変であると考え、本件土地の西隣りに居住している訴外金光真次と一緒に被告岡山県の土木部建築課へ赴き、同課指導審査係長の訴外林豊(以下「訴外林」という)。に対し、被告五嶋が本件土地に工場を建てようとしているが、住居地域である本件土地に工場が建てられるのか、県は何故建築を許可したのかなどと質問、抗議した。これを聞いた訴外林は、早速、本件建物建築について確認申請がされているか調査したところ、まだ確認申請がされていなかつたので、その日のうちに同課職員の訴外岡清(以下「訴外岡」という。)とともに本件建物の建築現場に赴いた。現場に着いてみると、被告五嶋は不在であつたが、本件土地は既にコンクリートが敷きつめられており、柱が建てられるような状況にあつたので、不在であつた被告五嶋に違反の事実を告げるため、名刺に本件建物は建築確認申請がされていないので建築工事をすることはできない旨記載して、その時本件土地にいた被告五嶋の使用人に手渡し、あわせて、翌日被告五嶋に出頭するようにとの伝言を依頼して帰庁した。

(ウ) しかしながら、被告五嶋は被告岡山県の建築課に出頭せず、鉄骨を組み立てるなどして本件建物の建築工事を続行したので、訴外林らが前記のとおり本件建築現場に来たことを知らなかつた原告は、建築課へ赴き訴外林に対し、早急に建築工事を止めさせるようにと抗議した。そこで、訴外林と訴外岡は再び本件土地に行き、一見して建ぺい率に違反していることも明らかであつたので、作業員に対し、口頭で工事の停止を命ずるとともに、被告五嶋に連絡して正式な手続をするよう伝えさせるとともに、帰庁後も電話連絡を何度となく試みた。

(エ) 被告五嶋は、その後も確認申請をせず、また建築課へも出頭しなかつたが、訴外林は、前記口頭の注意措置で、通常の場合は正式な手続が履践されるので十分と考え、その後本件建物の建築行為については何らの対処もせずにいたところ、被告五嶋は、土曜、日曜を利用して建築を強行し、同年四月ころ本件建物を完成させてしまつた。(なお、原告は同年五月ころ、訴外林らが本件土地へ赴いたと主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない)

(オ) しかも、右のとおりの経過で完成した本件建物は、右のとおり無確認建築物であるだけでなく、実体的にみても、法定の建ぺい率の制限を三九パーセントも超過した違反建築物であつた。

(3) 右(2)及び前記(三)(1)各認定の事実関係によれば、被告五嶋の本件建物は、前記建築基準法の各規定に違反し、しかも、右各規定を遵守すれば、既存建物の面積等との関係から本件建物の建築は難しく、原告の日照・通風が阻害されることもなかつたと推認できること、その行為の態様は、被告岡山県の再度にわたる工事停止命令や行政指導を無視して強行されたものであり、また本件建物の用途は住居地域でありながら、同建物内において塗装作業を行うという有害な目的を意図したものであつたこと、本件建物が原告建物とわずか一メートル前後の距離しか離れていないうえ、本件建物が原告建物の真南に面して建てられたものであつたため、原告の受けた日照・通風の被害の程度は著しいものであつたことが認められるのであり、閑静で周囲には空地も多かつたであろう住居地域でありながら、ひとり日照・通風を大幅に奪われた不快な生活を余儀なくされたことは、原告が本件侵害行為前に受けていた豊かな日照・通風の期間が僅か四年足らずであること、本件土地が空地であつたとはいえその広さは六〇平方メートル以上あつたのであるから、早晩同所に何らかの建物が適法に建築され、ある程度の日照・通風が障害されることを予見すべきであつたにもかかわらず、原告の家屋は、通常の建築方法、却ち、自己の建物の採光を確保するため、建物を敷地の北側に寄せて建築し、南側を庭などとして空地を残す方法に反して、他人の所有に属する本件土地が空地であり日照・通風をさえ切るものが無かつたことを奇貨として、却つて南側一杯に寄せ、主たる採光部を南側にとつたこと(以上の各事実は、<証拠省略>によつて認めることができる)など、元来原告にも本件被害の回避可能性が多分にあつたのではないかと推認できる点、南側隣地より先に建物を建てたことにより、南側隣地の北辺上空の日照通風を原告のいう既得権であるからといつてその妨げになる建物の建築を一切許さないわけにはいかない点を考慮したとしても、原告の被害はその受忍限度を超えたものであり、被告五嶋の本件建物の建築行為は、その正当な権利行使の範囲を逸脱したものとして、その行為によつて生じた損害の賠償責任を認めるのに十分な違法性を具備したものというべきである。

(4) 従つて、被告五嶋は、前記判示の経緯に照してみれば少なくとも過失があつたことは明らかであるから、原告の蒙つた後記損害を賠償すべき責任がある。

3  よつて、進んで損害について判断する。

(一) 畳、敷居、土台等の修繕費

<証拠省略>によれば、原告は、被告五嶋の本件雨水の注潟行為によつて腐敗した畳、敷居、土台などの補修、取換などを余儀なくされ、その費用として、訴外株式会社三備に対して金一万六三〇〇円、株式会社双葉建設に対して金五万円をそれぞれ支出したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

原告は、右修繕工事費用として金三九万円を支出した旨主張するが、右認定金額を超える支出については、これを認めるに足りる証拠はない。

(一) ルームクーラー設備費

次に、本件雨水の流入及び日照・通風障害のためルームクーラーの設置を余儀なくされ、その設備費として金一八万五〇〇〇円を支出したとの原告の主張について判断する。

<証拠省略>によれば、原告は昭和四一年と四三年に各一台ずつルームクーラーを購入設置したこと及び昭和四三年二月七日冷暖房設備費として金二五万八〇〇〇円を支出したことが認められ(右認定に反する証拠はない)。右認定事実からは、原告の主張する金一八万五〇〇〇円は、昭和四一年に購入したルームクーラーの設備代金の請求であると推認されるのであるが、右代金額を認めるに足りる証拠がない。

この点をひとまず措いて考えてみるのに、雨水の流入や日照・通風妨害により湿気が増大し、除湿の必要性が生じたと認められる場合でも、ルームクーラーの購入、設置が(たとえ除湿機能を有するものとはいえ)、右侵害行為から通常発生する損害とは到底認め難く、右設備代金の全額を本件不法行為によつて生じた損害として賠償させることはできないものというべきである。更に、除湿機能のみに着目してその代金の一部を認容することが許されるとしても、その算定は相当複雑困難であるのみならず、加害者の違法性の程度や被害者の帰責原因の有無・程度等を総合勘案することなくこれを認めることができるかは疑問であり、このような点をかれこれ斟酌すれば、財産上の損害賠償として認めるよりも、精神的損害賠償たる慰藉料の算定において斟酌するのを相当とする。

(三) 慰藉料

被告五嶋の本件不法行為によつて原告の受けた精神的損害を慰藉するには、前記認定の被告五嶋の違反の経緯及び態様並びに原告の被害の程度及び回避可能性、その他本件に顕れた一切の諸事情を考慮して、金三五万円と認めるのが相当である。

二  被告岡山県に対する請求について

1  被告五嶋が、原告の主張するような本件建物の建築行為をしたこと並びに同建物が、建築基準法六条及び五三条(但し、違反の割合については争いがある。)に違反していることは、原告と被告岡山県との間において争いがなく、また、被告五嶋に同法一九条三項及び民法二一八条の各違反事実があつたことは、前記判示のとおりである。

2(一)  原告の主張する前記建築基準法の各規定が、いずれも原告の権利を直接保護したものでないことは前記判示のとおりであり、従つて、岡山県知事が原告に私法上の作為義務を有するものではない。

しかしながら、岡山県知事の不作為が違法であり、被告五嶋の違法と相俟つて故なく原告に損害を与えたと解することができるならば、岡山県知事の右不作為は、原告に対する不法行為を構成すると考えられるから、この観点から、岡山県知事に違法行為があつたかどうかについて検討することとする。

(二)  原告が主張する岡山県知事の義務違反行為は、要するに、次の三点にある。

(1) 本件建物の建築工事中、被告岡山県は、右建築行為が建築基準法に違反するものであることを知つていたのであるから、右建築工事を停止させるべきであつたにもかかわらず、本件建物を完成させてしまつた。

(2) 本件建物には雨樋や排水溝が設置されていなかつたのであるから、右排水設備を設置させるべきであつたのに、これを怠つた。

(3) 本件建物に原告家屋の日照・通風が阻害され、かつ、雨水の流入等によつて被害を蒙つていたのであるから、直ちに本件建物の除却命令をなし、本件建物を行政代執行により違反部分を除却させるべきであるのにこれを怠つた。

このうち、右(2)については、雨樋の設置は私人間の問題であつて、岡山県知事の作為義務とは何ら関係がなく、排水溝の設置義務違反(建築基準法一九条三項)の点も、原告の主張する被害との関係が不明であることは前記判示のとおりであるから、以下右(1)及び(3)について判断を示す。

(三)  まず、被告岡山県の工事段階における措置について判断するのに、前記判示のとおり、被告岡山県は、被告五嶋が建築確認申請をすることなく本件建物の建築工事を開始していることを、原告らからの通報によつて知るや、直ちに訴外林と同岡が現地に赴き、無確認建築物であることを理由として、口頭で工事の停止を命ずるとともに、被告五嶋に建築課への出頭を命じ、更に、その後再び現地へ赴き、今度は、無確認建築物及び建ぺい率違反の二点を理由として、再度口頭で工事の停止を命じたこと、その間再三にわたり電話で被告五嶋の出頭を促していたことなどの事実が認められるのであるから、右工事停止命令や出頭要請を無視して通常取締の行われない土曜から日曜にかけて工事を続行し、本件建物を完成させられたとしても、岡山県知事に、工事段階における措置義務に違反する不作為があつたとは認められない。

原告は、口頭による工事停止命令では違反者に与える抑止力が弱く不十分であり、文書により工事停止命令をすべきであつたかのように主張するが、文書によるか口頭によるかによつて、原告の主張するほど違反者に対する違反防止の効果に差があるかどうかは疑問があるのみならず、確かに建築基準法九条二項によれば、違反建築物の是正を命ずるには、是正命令に先立ち、あらかじめ命じようとする措置及びその事由を記載した通知書を交付しなければならないことになつているが(尤も、是正命令自体の形式については別段制限がない-同条一項)、これも同条一〇項によれば、違反が明らかで、かつ、緊急の必要性があつて右手続をとることができない場合には、工事中の建築物について該工事の施行の停止を命ずることができるのであるから、本件のように無確認で建築行為を進行させていることが明らかであるような場合には、直ちにその工事を停止させる必要があると解されるので、工事停止命令を口頭でなしたとしても同項により何ら違法ではない。

(被告岡山県の職員は、本件の場合の工事停止命令の性格について、本条によるものか、又は行政指導によるものか必ずしも意識していなかつたことが窺われるが、勿論論前記判示に影響を与えるものではない。)

(四)  次に除却命令及び行政代執行をしなかつたとの主張について判断する。

(1) 被告岡山県が、本件建物の工事中及びその完成後において、除却命令を出さず、また、行政代執行の措置をとらなかつたことは、当事者間に争いがない。

(2) 被告岡山県は、除却命令を発しなかつた理由として、除却命令を発したにもかかわらず、相手方がこれに応じなかつた場合、当然行政代執行がなされなければ命令を発し終つても違法状態が継続することとなり、法治国としての保障が無になるのであり、従つて、逆に行政代執行の可能な場合にのみ除却命令を発し得べきことになるところ、本件においては、行政代執行法二条の代執行の要件を備えていなかつたのであるから、除却命令も発せなかつた、と主張する。

確かに、その確実な保障もなく、いたずらに除却命令を発すべきでないことは被告岡山県主張のとおりであるが、そうとはいえ、除却命令を出すことにより、相手方が任意にその履行に応ずる場合もあり、また、後述のとおり、行政代執行をするかどうかは、行政庁の裁量を入れる余地があるのであるから、行政代執行の要件をも満たしているとして除却命令を発した場合でも、最終的に行政代執行がなされず、違法状態が継続する場合も考えられるのであつて、被告岡山県の主張する行政代執行の可能な場合のみ除却命令を発し得るという考えは根拠に乏しいといわざるを得ない。

しかしながら、被告岡山県が仮に除却命令を発していたとしても、被告五嶋において右除却命令に任意に従つていたことを推認させる特段の事情が認められる場合ならともかくも(右特段の事情については、何らの主張・立証がない)、最終的に代執行がなされなければ、原告の本件被害の発生の防止・消滅は実現されないのであるから、除却命令を発しなかつたことの当否を論ずるまでもなく、岡山県知事が代執行をしなかつたことが違法かどうか判断すれば足りるというべきである。

(3) ところで、行政代執行法二条によれば、義務者の義務不履行があるからといつて、直ちに代執行の手段をとることは許されず、他の手段によつてその履行を確保することが困難であり、かつ、その不履行を放置することが著しく公益に反すると認められるときに限り、代執行の手段をとることができるのである。この公益性の要件を原告主張の建築基準法の実体的規定(主として建ぺい率違反。手続的規定違反のみによつては代執行ができないと解される)。についてみるならば、例えば防火・防災上の危険性があるような場合であつて、本件のように隣家の日照・通風を妨げているというだけでは(当時日照・通風が建築基準法の直接の保護目的ではないこと及び当事者間の民事問題として解決が可能であつたこともあり、)、著しく公益に反するという件には該当しないと解される。(なお、被告岡山県の主張が公益性に反するという要件が被害の広範囲性をさすという趣旨であるならば、失当である。蓋し、右要件は、違反を放置すること自体が公益に反するという趣旨であつて、勿論被害の範囲も重要な基準とはなるが、例えば違反建築物が倒壊の危険性があるような場合、その被害が隣家にのみ及ぶような場合でも、代執行の右要件は充たしていると考えられるからである。)

(4) 更に、前記代執行の要件を具備した場合でも、代執行をするかしないか、或いは如何なる時期に代執行をするかなどという点については、行政目的の円満な遂行を図るため、建築基準法の運用の任に当る当該行政庁の裁量に任されていると解することができるから、右代執行をしないことが、裁量権の範囲を逸脱し著しく合理性を欠くに至つた場合にはじめて違法となるところ、本件において代執行をしなかつたことが、著しく不合理であるとは認めることができない。(<証拠省略>によれば、被告岡山県の建築行政は、昭和三〇年代後半から昭和四〇年代前半にかけて、執行体制及び行政意欲の面において、全国的にみて極めて不十分なものであつたことが認められ、また前記判示のとおり、本件建物建築前から本件建物完成後本件訴訟に至るまでの間、原告の度重なる陳情があつたのであるから、被告岡山県としては、行政指導等により適切な手段を講じて被害を最小限度に抑える機会が多分にあつたにもかかわらず、これを怠り、何ら実効性ある手段をとることなくきたことなどの事情を考慮すれば、被告岡山県の行政上の責任は極めて重いものといわざるを得ず、厳しく反省を求めるものであるが、右事実は代執行の裁量性逸脱の判断に影響を及ぼすに至るものではない。)

3  従つて、原告の被告岡山県に対する本訴請求は理由がないものといわざるを得ない。

第二反訴について<省略>

第三結論

以上の次第で、原告の被告五嶋に対する請求は、金四一万六三〇〇円とこれに対する本件不法行為の日より後の昭和四三年一月二七日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却することとし、原告の被告岡山県に対する請求は全部失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、原告と被告五嶋との間については民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項を、原告と被告岡山県との間については同法八九条、九三条一項を、仮執行宣言について同法一九六条を各適用のうえ(仮執行免脱の宣言は相当でない)主文のとおり判決する。

(裁判官 早瀬正剛 平田勝美 柴田寛之)

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